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所作を調えて心を調える、ハウツー本もたまにはいいなと思った話

もうしばらくいわゆるハウツー本を避けてきたのだけれど、読んでみて、これはこれでいいものだと思った。ハウツー本をあえて避けてきたのは、「○○する3つの方法」みたいな表面だけをなでるだけの感じ、煽られてるような気になるのがとにかく嫌だったからだ。

それがなんでハウツー本をまた読んでみたのかというと、"習慣"がすごく大切だと思うようになってきたから。やればできる、明日から本気出す、みたいに器用なことがそうそうできはしなくて、ほとんどの場合がいつもどおりの自分が在るだけ。そういう意味では逆に、ハウツーをこなせばよかろうなのだ、というわけにはいかないんでしょ、と思っていた。

だけど、心と体はつながっていて、所作を調えることで心が調う、ということはあるとも思っている。これはもう完全に禅とか仏道とかの影響なんだけど、これは本当だと思う。心だけがきれいで所作がきたないとか、ないと思うんだよ。脳科学的にもそういうことはあると言えるみたいで、過去の行動とつじつまを合わせるために価値観を更新することだってあるらしい。

厚切りさんのツイートをひとつ拝借する。がんばれる自分を見ることはいいことだと思う。それは間違っていないし、人格を抜きにして成果だけを見る考え方は好きじゃない。それでも、がんばれる自分を、人格だけを見て形成していくことはかなり難しいでしょ。それがまあ厚切りさんの言うところの"コントロール"だと理解している。このような"コントロール"で自分を変えていくことは「スタンフォードの自分を変える教室」にも書いてあったと思う。

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

そういう科学的というのか、立証的な言い方ではないのだけど、松下さんの本にも"形をやる"というようなことは書いてある。印象に残っているのは「掃除をきちんとする」ということだったり「仏壇でも神棚でもいいから毎日手を合わせる」ということだったり。もう半年くらいは神棚に手を合わせるようにしていて、それでどうにかなったということはないんだけど、どうにかなりたいんだって思えるわけ。それがちょっとの知識を得たところでガラッと変わっちゃうなんてことはなくて。どこに一貫性をもたせようかということを考えれば、自分に本来的な価値観を創造する力が備わっていないなら、信仰の形に頼るというのはよくできた答えのひとつだと思ってる。

リーダーになる人に知っておいてほしいこと

リーダーになる人に知っておいてほしいこと

パウエルさんの本には"訓練"という言葉が使われていたと思う。それについて書いてあるのはチームのこととしてだったと記憶しているけど、チームの在りようを変えるための訓練を定めて実践する、というのはそれが個人でも同じことだろう。能動的に自らを変えようとする意志のある分、"訓練"という言葉には力強さとテクニカルさのようなものを感じる。

リーダーを目指す人の心得

リーダーを目指す人の心得

それでまあ、久しぶりに次のハウツー本を手にとってみたのだけれど、"習慣づけ"とか"訓練"のつもりでいて目を通す分にはよいなと思えた。そのきっかけは掃除のことが書いてあったからで、松下さんの本にあったことの影響は自分の中で大きいなと感じた。掃除のことが書いてる本はいい本だ、って。そんなバイアスをかけてしまっているのはちょっと危ないことでもあるが。

とは言え、やっぱりハウツー本だけを読むのはなんだか違う気がしている。だいたい、わあっとハウツー本に食いついてしまうときっていうのは、目に見えるような成果をすぐに求めてしまっていて、そういう心の状態で形をやり続けることができるのかって、それは難しいでしょ。だからいろいろ読んでみるのがいいんじゃないかな。いろんな方向からものごとを見て、考えて、やってみるしかない。どれかだけで成す、ということはできないと思うんだよね。

やる気のないチームを劇的に変える3分の習慣

やる気のないチームを劇的に変える3分の習慣

ちなみにこの本で一番よいと思った"習慣"は「音をたてないようにしてみる」である。八百万神を信じることにしているから、ものを大切にするのは当然であるのだが、じゃあどうやってということまで考える必要がある。ものを大切にすればばたばたと音を立てることはないでしょ、と考えることができれば、音をたてないようにしてみる、と"コントロール"することができる。当たり前と言えば当たり前なのだが、そういう発想はできていなかったなと思ったのである。