考える場所

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現実と感情に納得するとは

ものごとに納得するということは非常に難しい。たとえば、地球が大事だと言っても、やっぱり自分のことはかわいいと思うものだし、自分を犠牲にしてまで地球を優先することは、気持ちのうえでもできなかったりする。しかしだからと言って、地球を大事に思っていないかと言えば、そんなことはない、ということはぜんぜんあるはずで。こういうときに、地球が大事なら自分を犠牲にしなさいよと言ってみたり、自分をかわいいと思うのは地球を大事にしていないからだと言ってみたりしてみても、なんにもならないということは直感的に分かっておきたいことだよね。

現実にたくさんの気持ちがここにはある。それらは矛盾している、と言うことができるような理屈が浮かんでしまったときにも、やっぱりどのようにかして納得しなければならないわけでしょ。そうしたらいったん、正しいとか正しくないとかいう問題から離れてみなきゃいけない。

自分を大切に思う気持ちが外側へ広がっていくと考えてみてはどうかしら

中村桂子さんの本にそう書いてあった。(原文がこのとおりだったかは忘れてしまったが、)これを見てああすごいなと思った。スピリチュアルなものの見方に感心したわけじゃないよ。こういう考え方が正しい、と言っているわけじゃなくて、そういう納得をすることができるでしょう。そうしたらどれも大切にすることができるし、それでいいんだって言うことだってできるわけでしょ、って。そう言われたように感じたんだよ。生命科学は倫理と隣り合わせで、そういう折り合いをつけてやっていくという側面もあるらしい。この、在る、という現実を、やる、っていうことなんだと思うわけ。

知の発見 「なぜ」を感じる力

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