考える場所

ココロとカラダ、思考する全部

自分が安心感を得たいだけ

面接-たかだか1時間程度の時間-で、目の前の人間がどんな人物であるかということを見定めるのは難しい。実際に関わりをもってみたらぜんぜんイメージと違ってたなんてことは避けられないようにも思える。会話してみれば分かる、とは言っても、チューリングテストに合格しましたというだけのことで、演じるのが上手でした、なんてこともぜんぜんありそうな気がする。そのテストの対象が知識になったところで、同じようなことはできてしまうんじゃないかなあ。

あなたは信じられる人間ですよね。私のことをいつまでも愛してくれますよね。そんなことを聞いたって、もしその保証が欲しいのだとしたら、まったく意味がない。そうでないのだとすればそうだと言うだろうし、そうだと言うのが本当だとしても、それは今の話であって、先のことじゃあない。だったら、ダメなら担保な、って言ってしまったらもうおかしいよね。

自分が安心感を得たいだけ

そういう感じがあるのかもしれない。あなたはこうですよね、という確認を直接とることができないか、それを聞いたって意味がないなら、あの手この手で知りたいことを知ろうとしてみるんだけど、それが直接ではない以上、やっぱり推測でしかない。こういうことならそうなのかもしれない。このことはまあ事実なんだろう。みたいな。それでもやるのは安心材料を揃えたいってことなんでしょ。

だから面接なんてしない。早い者順で入れる。っていう会社があるという記事をどこかで見たことがあるんだけど、それはそれで大丈夫なものかと心配になる。それでも状況をやる、状況を作ってみせる、そういう責任を負う、ということだろうか。考え方としては建設的、んん、前向き?覚悟かな。自分は人を見極めることができるし、見極めてやろうって、思ってしまう方が傲慢なのかもしれない。そう考えなければ、この状況をどうするかということに、目を向けることを忘れてしまうんだろうな。

合わせて読んでほしい

blog.fukuchiharuki.me